鉄人サイクルクラブ
つくば市茎崎地区を中心に、サイクリング等を通じ健全な心身を養うシニアクラブ
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龍ヶ崎市を往く  2  神社仏閣
集合_般若院

                  般若院本堂前

  龍ヶ崎市内には神社仏閣が多くある。
  歴史探訪として その主なところを訪れてみた。
  
  根町にある 天台宗「般若院」は 
  978(天元元)年 道珍法師によって 貝原塚に開基され
  1924(大永四)年に 現在の場所に移ったという。
  
  三代将軍徳川家光のとき雨乞いを 祈願して
  江戸の大干ばつを救済し
  幕府から「虎の尾」を拝領している。
  
   大師堂には 伝教大師と弘法大師が 安置されているという。
   また 観音堂には聖観音が安置されていて
  子育て観音として 信仰されている。

般若院正門
               般若院門前

般若院枝垂れ桜3

  特に 本堂裏にある
   樹齢400年を超す “枝垂れ桜”が 有名である。

   般若院枝垂れ桜2

   1988_04_般若院桜2
               (1988年撮影)

上町八坂神社

  上町の八坂神社
 
 1185~1190(文治年間)征夷大将軍・源頼朝から地頭として
  常陸南部を領した下河辺政義が 鎌倉時代以前は
  台地より下は沼地だった龍ケ崎の開拓に際し
  高井(貝原塚町)の農民を移した。
  
  その際 農民の心の拠り所だった貝原塚八坂神社の分社を
  開拓地の根町に建立したのが 上町八坂神社の始まりで
  1577(天正5)年 現在の上町に移っている。
  
  祭神は 建速須佐之男命。 
  水を主宰する国土開発の神であり
  農耕・商工運輸交通の道を授け 
  悪事災難を取り除く 守護神といわれている。

  なお 明治維新まで この八坂神社は
  「天王社」といわれていたが
  今でも 俗に「天王様」と呼ばれて 親しまれている。
  天王とは 「牛頭天王」のことで 祇園社の祭神であり
  疾病や農作物の害虫などを払う神。

  7月下旬 祇園祭の最終日に行われる
  「撞舞」(つくまい)は 見物客でにぎわう。
   2010(平22)年 県の無形民俗文化財に指定された。  

   ツクマイ

       つくまい2

  撞舞の会場となる道路には 
  歴代舞男のプレートが埋め込まれている。
  
   なお 撞舞の起源には諸説あり 
  古代中国の民間芸能が 日本に伝わり 
  五穀豊穣祈願や雨乞いなど
  祭の神事と結び付いたとする説もある。
  
  因みに 辞書「漢辞海」によれば  
   「橦」は 布を張るための柱・旗竿 
   「撞」は たたく・突き刺す を意味し  
   推測だが ”ツクマイ”は 長い柱の上で舞い踊るので
    「橦」が「撞」に転化したのでは。
   
     
           YouTube から
  
    カエルの格好をした舞男が 命綱なしで 柱に上り舞を踊る  
    忍者かサーカスか アクロバットな舞の舞台である。
         

龍ヶ崎観音

  下町にある 東福山水天院 「龍泉寺」は 
  天台宗の寺 「龍ケ崎観音」の呼び名で 親しまれている。
 
  1573~1592(天正年間) 
   江戸崎城主・土岐胤倫(後に龍ケ崎城主)の創建と伝えられ
  1624~1644(寛永年間) 
    上野寛永寺の天海僧正が再興した。
  
   明治の初期10余年の歳月をかけて
  本堂を再建したが
  1883(明16)年 砂町・上町・下町が
  跡形もなく全焼した龍ケ崎大火で
  その落成寸前に消失してしまった。

  その後は 仮本堂であったが 
  1975(昭50)年に新築されている。
  
  土岐胤倫の妻・お福の方の難産に際し
  聖観世音菩薩の尊像を迎えて寺を建て祈願したところ
  無事出産できたという伝えがあり 
  今も 安産・子育て・出生・開運・除災の
  観音様として広く信仰を集めている。

  本尊は 安産祈願の聖観世音菩薩で
  「安産観音」として親しまれている。
  
  毎年7月10日の「ほおづき市」は
  4万6千日分の参拝をしたことになる
  功徳日としてにぎわうそうだ。

医王院2

  砂町にある曹洞宗玉光山「医王院」は
  1558(慶長3)年の創建とされている。
  
  本尊は 薬師如来で 
  龍ケ崎城主・土岐胤倫が創建した十二薬師の一つ。
  
  本堂は 江戸時代初期の建築で 
  1883(明治16)年の龍ケ崎大火でも消失を免れている。
  その後何度も補修されて 
  創建当時の様式をそのままに残している。
  
  1798(寛政10)年には 小林一茶も当地を訪れるなど
  龍ケ崎では俳諧を中心とした文芸も盛んだったよう。

大統寺1

  横町にある曹洞宗龍峰山「大統寺」は
  1585(天正13)年 創建で
  龍ケ崎城主・土岐胤倫が
  叔父の天岩梵宿和尚を招いて開山した。
  そのときに根町台にあった大運寺を現在の場所に移し
  さらに当時あった 大聖院・天真院の2つの寺を合併して
  寺名を大統寺として 宗派も臨済宗から曹洞宗になった。
  
  本尊は 釈迦年尼仏  本堂は
   1661~1673(寛文年間)と1
    804~1818(文化年間)に再建されている。

大統寺3

大統寺6

  このとき本堂の前に 竹柏(なぎ)などを植えられ
  今では見事な大樹となって茂っている。
  竹柏は マキ科の常緑高木で温帯植物。
  関東地方でこのように大木に成長したのは珍しく
  市指定天然記念物となっている。

愛宕神社

  「愛宕神社」は 根町の高台にあって
  1641(寛永18)年 
  時の領主・伊達陸奥守忠宗(正宗の子)が創建している。
  
  伊達家は 代々 愛宕社を崇拝し 
  仙台には京都より勧請した愛宕社が祀られており
  幕末に北海道に移住して開墾に従事した仙台領民の村には
  必ず愛宕社が祀られているという。
  
  1708(宝永5)年 社殿が再建され 修築を経て今ある。
  社殿は 表6尺・奥行き6尺5寸の総檜造りで
  龍や鷹の優れた彫刻が施されている。
  
  愛宕神社は「火伏せの神」とも
  神前に置いてある笹をもらって屋根にさすという習わしがあり
  いまでもお祭りの時は
  「火伏せの笹」を もらい受けに参詣するという。
   
來迎院2

  馴馬町にある 
  天台宗・法華山宝塔寺「来迎院」(らいごういん)へ
  創立は 923~930(延長年間)といわれている。

    多宝塔2

  ここには 二重の「多宝塔」があり
  2006(平18)年 国の重要文化財になっている。
  
  この地方では 珍しい多宝塔形式で
  室町時代の特色を示してる。
  この種の多宝塔は 当地と京都北部の丹後国と
  全国に 二つしかないといわれている。

多宝塔3


  毎年12月23日に行われる 
  火防(ひぶせ)護摩供 火渡り修行が有名。


                               ─ 続く ─
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Author:kukizakitetujin
茨城県つくば市茎崎地区を中心に サイクリング等を通じ健全なる心身を鍛えることを目的としたシニアクラブです。

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