鉄人サイクルクラブ
つくば市茎崎地区を中心に、サイクリング等を通じ健全な心身を養うシニアクラブ
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北茨城市を訪ねて(3)
桜並木

  昨日に続いて 今日も上天気になってくれた。
  桜前線が北上して往って 散りゆく桜並木のなか進む。

国道6号171km

 国道6号(東京~仙台 345.5km)別名「陸前浜街道」
 東京から171km地点 その中間点になる。

 横には新鮮な海産物を売る店があり
 何か土産物になるものはないかと のぞいてみた。

二ツ島1

 「ニツ島」を見み 心地よい潮風を受けて
 快調に陸前浜街道沿に進む。

二つ島2

 「ニツ島」は、磯原海岸沖合にある無人島。
 当方には“象”が水を飲んでいるようにも見えるが。
 
 その名の通り もともと二つの島があったことから
 「二ツ島」と名前がついていたが
 隣にあった小さな島(岩礁)は、消失しまったようだ。

 また、以前は島の上部に樹木が見られたが、
 東日本大震災に伴う崩落と津波により消失して
 裸島になってしまい、今は海鵜の住処になっているようだ。
 茨城百景にも選定され、北茨城市のシンボル的な存在となっており
 周辺には「ニツ島」の名を冠したホテルなどもある。

雨情記念館

 「北茨城市歴史民俗資料館」「野口雨情記念館」へ。

 1階は 雨情の記念館で「赤い靴」「七つの子」などの楽譜を初め、
 全国から収集された雨情の作品や遺品の数々が展示されている。

 2階には 東日本大震災の被災状況と民俗道具が展示されて
 北茨城市の歴史を知ることができる。

シャボン玉

 記念館前の雨情像に近寄ると 
 代表作「しゃぼん玉」のメロディーとともに
 無数のシャボン玉が噴き出てきた。

 野口雨情は、1882(明治15)年に生まれ
 1945(昭和20)年に亡くなって 今年没後70年を迎えている。
 詩人、童謡・民謡作詞家で 多くの名作を残し、
 北原白秋、西条八十とならんで“三大童謡詩人”とうたわれた。

 代表作には「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」
 「青い眼の人形」「シャボン玉」「こがね虫」「あの町この町」
 「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」などの童謡と
 全国各地を旅し、「波浮の港」「船頭小唄」「磯原節」などの民謡もある。

雨情生家

 雨情の生家は 雨情記念館から国道6号を挟んで
 200m程先のところにある。

 雨情は 1882(明治15)年 磯原町の野口量平の長男として生まれ、
 本名を英吉といい、15歳で上京するまで、この家で育った

 雨情の生家は廻船問屋でもあり、
 また、野口家は水戸藩第2代藩主徳川光圀が逗留し、
 「観海亭」名付けるなど水戸徳川家との所縁も深く、
 古文書なども保管されている。
 重厚な家屋は1967(昭和42)年 県の文化財に指定された。

 東日本大震災時 生家には 1.5mまで津波が襲い、
 資料館は床下浸水したが 資料等を2階に移したため
 雨情の原稿や本、すずり、帽子、着物など
 8割方が助かったとのこと。

雨情生家館
     
 生家の隣に資料館「雨情生家館」が併設されている。
 1999(平成11)年に 開館し、多くの資料を展示している。

風船爆弾

  「北茨城市歴史民俗資料館」には 貴重な資料が展示してあった。
  驚くことに この大津の地(他に 福島県勿来、千葉県一宮)から、
  戦況が悪化した太平洋戦争末期
  追いつめられた当時の日本軍が「ふ号兵器」(風船爆弾)として
  アメリカ本土に向けて高度 8000m以上に吹く偏西風を利用し、
  和紙とコンニャクのりで貼りあわせた紙風船(無圧式)に
  時限信管をつけた焼夷弾(5kg・2個)と
  爆弾(15kg・1個)を吊り下げ、
  アメリカ本土上空に辿り着いた頃に落下するように
  考案された実用兵器「風船爆弾」の模型だ。
 
 風船爆弾は、約9000個が放たれ 
 北アメリカ大陸に到達した数は推定1割という。
 事態を重く見たアメリカは、日本に作戦失敗と思わせるため、
 厳しい報道管制を敷いた。
 しかし その結果、オレゴン州の小さな村で、6人が死亡してしまった。
 これは、アメリカ本土で敵の攻撃を受けた、唯一の犠牲者となったという。
 
 このほど 首相官邸の屋上に小形無人機 “ドローン”が
  落下した事件が報道されているが
   まさに 風船爆弾と発想手法が同じで 驚くばかりだ。

松陰碑

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が今放映されているが。
  その吉田松陰が この磯原の地にも訪れており、
   紀行を書き漢詩も残している。

 1853(嘉永5)年、23歳の松陰は北辺警備視察の途上、
 磯原に立ち寄り野口家に泊り、酒を飲み大いに語り合った。
 その時一編の詩「磯原客舎」を残したが、
 その内容では 松陰は酒には弱かったようだ。

 「吉田松陰先生来歴之地」の碑が 天妃山の手前に建っている。
 松陰の「磯原客舎」の七言絶句が刻まれている。

弟橘神社

  天妃山は、1690(元禄3)年、光圀が天妃神をここに祀り、
 磯原の海の守護神とした。
 以来、この小さな山は「天妃山」と呼ばれることになった。

 その後、1831(天保2)年、斉昭が日本尊の妃、
 弟橘媛(おとたちばなひめ)を海陸の守護神として合祀し、
 麓の神社は「弟橘媛神社」と改称された。

 県内2番目 21・2mの低山で、数分でお堂のある頂上へ
 登ると太平洋の海原が開け、北側には二つ島、
 大津漁港と続く長い海岸線が展望でき 
 光圀が腰かけてこの景色を 見たという碑もあった。

 因みに 日本一低い山は 3mの「日和山」(仙台市)
 茨城県一は 19.4mの「天神山」(東海村)で 日本では21番目。

天妃山より太平洋   
             天妃山より太平洋を望む

 国道6号を東京方面に走り 12:30過ぎ「磯原駅」へ

磯原駅前

 磯原駅は 相対式ホームの 2面2線を有している。
 1897(明治30)年 日本鉄道の駅として 開業し、
 1997(平成9)年には 橋上駅化している。

からくり時計

 磯原駅東口のロータリーに 
 1992(平成4)年に造られた「からくり時計」がある。

 六角堂をモチーフして造られており 
 台座6面には 雨情の「証城寺の狸囃子」
 「七つの子」「十五夜お月さん」と「六角堂」「二ツ島」
 「梅の花」が飾られている。 

 丁度 12時に 観音開きの戸が開き
 雨情が作詞した代表曲
  「しゃぼん玉」「七つの子」「青い目の人形」の3曲を、
 3分間演奏すると共に、曲になぞられた 「からくり人形」が
 登場してきて 楽しませてくれた。

 因みに 演奏時刻は 1日7回(9・12・15・16・17・18・19時)


        動画「からくり時計」(YouTebuから)

雨情通り

  磯原駅西口からは「七つの子通り」が延び
  磯原駅東口からは“雨情通り”と 
  駅には 童謡のプレートやレリーフなど
  雨情にちなんだものであふれ 町全体が 雨情一色だ。

 その雨情通りの中ほどある 「山口屋食堂」 へ

もつ定食

 店内は昭和の雰囲気が漂う。
  ここでも津波が押し寄せたと 壁のシミを指して説明してくれた。
   店おすすめの「とりもつ定食」にて 昼食を摂る。

磯原駅

  磯原駅の発車メロディーにも「七つの子」が使われている。

 バイクを収納して 12:52発に乗車し 牛久に向かう
 途中からは 車窓ガラスに雨が吹き付けてきたが
  14:30 牛久駅で解散するときは 
    薄日もさす小雨となり 急ぎ帰宅することができた。

                     お疲れ様でした!



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茨城県つくば市茎崎地区を中心に サイクリング等を通じ健全なる心身を鍛えることを目的としたシニアクラブです。

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